医療情報分科会の発足時に大変ご尽力いただきました岡崎宣夫先生が,まさに東日本大震災で壊滅した医療の復興作業を行っている最中,7月10日に急逝されました(享年61歳).
 岡崎先生の本学会とのかかわりといたしましては,平成14年4月に本学会の医療情報委員会の委員に就任され,翌年からは医療情報分科会の委員として,主に画像情報領域における標準化に関する活動を推進されてこられました.岡崎先生と出会いご指導をいただいていなければ,今日の私は存在していなかったと云っても過言ではございません.写真にありますように岡崎先生は,いつも笑顔の方であり,岡崎先生が怒ったという記憶はありません.これは岡崎先生と交流されたすべての方が同じ印象をお持ちではないでしょうか.

以下に岡崎先生のご略歴をご紹介させていただきます.岡崎先生は,昭和25年3月9日に 愛媛県伊予三島市で生まれ,昭和50年3月に関西医科大学をご卒業されました.それ以後,自治医科大学在職中にICU向けの呼吸監視システムの研究に取り組まれ,高知県大月町立大月病院在職中には僻地医療,東芝病院在職中にはHIS-RIS-PACS統合システムの構築を指導されました.平成10年1月に,アリゾナ大学放射線科客員研究員として招かれ,米国アリゾナ州の地域医療・遠隔医療を推進されました.その後帰国され,本学会の医療情報分科会の設立,日本IHE協会の設立などにご尽力され,平成17年からは,両国大塚クリニックにて在宅医療に取り組まれました.平成18年6月からは,最後の勤務地となりました社団医療法人西城病院附属ひがしやま病院にて,地域医療に取り組むとともに,医療情報の電子化,システム化,地域の病院とのシステム連携などに精力的に取り組まれていました.


6710okazakisennsei そして,平成23年3月11日の東日本大震災発生直後から,アマチュア無線による三陸沿岸部ルータを立ち上げ,震災直後の緊急時通信手段立ち上げを主導し,同年5月から岩手県山田町での医療ボランティア,および岩手県における震災後の医療(情報)システムの立ち上げに奔走.行政とも深く関与,折衝し,多忙な毎日を送られていました.
 まさに,患者の視点に立った医療情報システムの構築とは何であるかを私たちに実行動で示されました.
 我々は,岡崎先生の遺志をつぎ先生への恩返しの意味をこめて,それぞれの立場でできることを積み重ねて参ります.
 最後に,岡崎先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます.