瀬木 嘉一先生

明治24年生まれの先生は、わが国の放射線医学の揺籃時代であった大正5年よりレントゲン診療について研鑽され、医療におけるX線の重要性とX線技師の必要性を提唱されました。
大正12年に放射線技師の有志を集めて蛍光会を設立され、その後改組された日本レントゲン協会が母体となって昭和17年に全国規模の日本放射線技術学会が誕生したわけで、先生は当学会誕生の基礎を確立された生みの親と申せましょう。

瀬木賞(制定1975年)

(対象) 年間最優秀論文投稿者
この賞は、故瀬木嘉一名誉顧問(1974年逝去 享年83才)のご遺志に基づいて設けられた賞です。

先生からは本学会が“我が国放射線技術史の編纂”を企画するに当たって毎年基金のご寄贈を戴きました。 更に、平成10年と17年にはご遺族から過分のご寄付を戴き、研究奨励基金として運用しております。

瀬木賞にはレントゲン博士の肖像を刻んだメダル(文鎮)が添えられています。これはレントゲン博士の 業績とその敬虔なる生涯に深く感銘を受けておられた瀬木先生の志を伝えるものです。彫塑家岡三樹雄先 生の労作で、裏面には句がしたためられています。『み仏のしろしめす路われはゆく 善意にみちし君を 憶いて』

御略歴

1891年(明治24年) 三重県に出生
1915年(大正 4年) 愛知県立医学専門学校(現名古屋大学医学部)卒業
1916年(大正 5年) 東京順天堂レントゲン科
1919年(大正 8年) 東京帝国大学付属伝染病研究所病理学教室にてX線と結核病理に関する研究を行う
1922年(大正11年) 京都帝国大学医学部整形外科レントゲン室勤務
1925年(大正14年) 京都帝国大学医学部博士号を授与
1928年(昭和 3年) 瀬木診療所移転
1931年(昭和 6年) 欧州遊学、W.C.レントゲン博士の事跡調査
1963年(昭和38年) 日本医学放射線学会名誉会員
1974年(昭和49年) 従五位勲四等旭小紋章を授与

梅谷 友吉先生

明治33年生まれの先生は、昭和3年以降、診療放射線技術の確立に挺身され、学会創立に際しては中核的責任者として参画され、その後の学会の進歩、発展に一生を捧げられました。
先生は、広い分野にわたり独創的な考案を多くされ、特許権19件、実用新案権6件を取得され、特許庁長官表彰を受けられるなど、輝かしい存在でした。

梅谷賞(制定1993年)

(対象) 教育、著作、発明、考案に著しい業績を挙げたグループまたは個人
この賞は、故梅谷友吉名誉会員(1980年逝去享年80歳)のご遺志に基づいて設けられた賞です。

御略歴

1900年(明治33年) 徳島県に出生
1928年(昭和 3年) 大阪医科大学付属病院理学的診療科レントゲン技術員見習
1931年(昭和 6年) 大阪帝国大学医学部付属病院放射線科技術員
1935年(昭和10年) 大阪放射線技術者会創設を主唱
1936年(昭和11年) (旧)日本放射線技術学会を設立し、会長に就任
1942年(昭和17年) 日本放射線技術学会創立委員会に西日本における技術者代表として参加
1946年(昭和21年) 日本放射線技術学会副会長
1960年(昭和35年) 日本放射線技術学会会長
1969年(昭和39年) 勲五等双光旭日章を授与
1977年(昭和52年) 日本放射線技術学会名誉会員

滝内 政治郎先生

明治40年生まれの先生は、昭和2年島津レントゲン講習所設立とともに専任教員となられ、昭和17年技術学会創立の準備委員長時から、お亡くなりになるまで、放射線技術一筋の道を歩まれました。
放射線技術に関わる、若手技術者の育成に対する先生の情熱を、学会として永続的に、受け継いでいかねばならないと考えます。

滝内賞(制定1999年)

(対象) 研究業績の優れた、原則40歳以下の個人
この賞は、故滝内政治郎名誉会員(1980年逝去享年69歳)のご遺志に基づいて設けられた賞です。

御略歴

1907年(明治40年) 大阪府に出生
1926年(大正15年) 大阪市立工業学校電気科卒業
1927年(昭和 2年) 島津レントゲン技術講習所専任教員
1941年(昭和16年) 日本放射線技術学会設立を提唱、創立準備委員会を招集
1947年(昭和22年) 日本放射線技術学会会長
1948年(昭和23年) 日本放射線技師会会長
1952年(昭和27年) 日本放射線技術学会名誉会員
1953年(昭和28年) 日本放射線技師会名誉会員
1962年(昭和37年) 放射線技術教育者として最初の保健文化賞受賞
1967年(昭和42年) 第4回国際放射線技術学会組織委員会名誉会員
1969年(昭和44年) 勲五等瑞宝章を授与
1974年(昭和49年) 京都放射線専門学校名誉校長

川崎 幸槌先生

大正元年生まれの先生は、昭和15年代より間接撮影技術に関する研究に従事され。結核予防を中心とした国民の健康保持のためにも大きな功績があります。間接撮影や放射線被曝の低減のための防護の推進、さらにJISなどの標準化事業を介して技術学会の社会的評価を高められました。
放射線防護や標準化事業の研究と育成に対する先生の情熱を、学会として永続的に受け継いでいかなければならないと考えます。

川崎賞(制定1999年)

(対象) 被曝低減活動、標準化活動に顕著な業績を残した個人
この賞は、故川崎幸槌元学会長(1996年逝去享年83歳)のご遺志に基づいて設けられた賞で、1979年に制定された川崎助成金(放射線管理に対する研究)から変化したものです。

御略歴

1912年(大正 1年) 茨城県に出生
1930年(昭和 5年) 陸軍軍医学校レントゲン科奉職
1941年(昭和16年) 電気学校高等工業科卒業
1941年(昭和16年) 財団法人結核予防会結核研究所に勤務
1953年(昭和28年) 診療X線技師免許証
1956年(昭和31年) 結核予防会結核予防職員研究所X線学部長
1959年(昭和34年) 日本放射線技術学会東京支部長
1964年(昭和39年) 日本放射線技術学会会長
1976年(昭和51年) 日本放射線技術学会功労賞
1977年(昭和52年) 多年国民医療の向上発展に寄与した功績により厚生大臣賞
1977年(昭和52年) 永年工業標準化事業に貢献した功績により通商産業大臣賞
1978年(昭和53年) 東京都知事賞

内田 勝先生

御略歴

1974年より1984年まで11年間理事
1977年より1984年まで画像部会部会長
1983年 梅谷賞受賞
RII研究会の設立,医療画像情報学会(MII)の設立
診療放射線技術学体系 放射線画像情報工学(Ⅰ),(Ⅱ)
放射線像の研究(第1巻レスポンス関数,第2巻解析と評価 他)
1986年4月4日 名誉顧問に推戴
2009年12月13日 ご逝去

山下 一也先生

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御略歴

昭和46年度より連続23年間理事を歴任
昭和57年度会長
平成2年度総会において学会賞受賞
昭和48年度から技術史編纂委員会,企画委員会,システム委員会,放射線総合委員会,専門委員会,その他多くの委員会委員長,委員を歴任され,特に将来構想委員長として学会のあり方,指針を示す等本学会の学術面の充実とともに学会活動の運営,発展に尽力された。
平成12年4月7日 名誉会員に推戴
平成24年11月10日 ご逝去

 

橋本 宏先生

御略歴

昭和48年より連続20年間理事を歴任
昭和53年度会長
平成8年度総会において学会賞受賞
昭和53年度から出版委員会,JIS・IEC委員会の各委員長および関連学協会委員を歴任され,放射線技術学の大系化を提唱し診療放射線技術学大系および放射線医療技術学叢書の刊行,現日本ラジオロジー振興協会の設立,学会の法人化等本学会の運営・発展に尽力された。
平成12年4月7日 名誉会員に推戴
平成28年5月14日 ご逝去